クライアント中心療法の概要と批判

以前主要な3つの心理療法についてまとめましたので、今回はその中の一つ、クライアント中心療法について紹介していこうと思います。

 

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クライエント中心療法はロジャースによって創始された心理療法で、人間にはもともと良い方向に向かっていこうとする力、自己実現欲求があるという前提のもと、セラピストはクライアントが自己実現欲求を発揮できるようなサポートをしていくというものです。

 ロジャースは人間の行動原理を力動的なものとした精神分析や、刺激と反応の結果による学習とした行動心理学と異なり、自己実現欲求としたことから人間性心理学や第三の心理学と呼ばれたりします。

 

 

 

 

 基本原理

ロジャースは治療によるパーソナリティの変化のための必要十分条件として以下の6つを提唱しました。

 

1.心理的接触

クライアントとセラピストという2人の人間が、心理的接触している状態でなくてはいけません。

 

 

2.クライアントが自己の不一致の状態である

自己の不一致の状態とは「自己概念と体験が一致していない」ことです。そういわれてもわかりづらいかもしれませんが、要は自分自身に対するイメージと実際の自分がかけ離れており、傷つきやすい状態にある、ととらえておくといいと思います。

 

 

3.純粋性

セラピスト自身が自分の感情に気づき、受け止められる状態であることです。2番目のクライアントが自己不一致である状態とは反対に、セラピストはカウンセリングの中で自己一致の状態であることが求められます。

 

 

4.無条件の肯定的関心

セラピストは、クライアントの好ましい行動だけでなく、好ましくない行動、矛盾した行動も受容し、積極的に関心を持っていくことが求められます。

ただ、これはあくまで理想ですべての言動に無条件の関心を向け続けるのは不可能であると、ロジャース自身も言っています。

 

 

5.共感的理解

クライアントの感情をあたかも自分自身の感情のように受け止めつつ、自分自身の感情を巻き込まない態度です。

この共感的理解を説明している本やサイトを見ると、みんな合わせたかのように「あたかも」という言葉を使っています。これはクライアントに共感するというのは、クライアントの感情そのものを理解できるということではなく、理解しようとする姿勢が大切であるということの強調です。

 

 

6.クライアントがセラピストの肯定的関心や共感を知覚している

これはそのままで、セラピストが無条件の肯定的関心や共感的理解を行っているということが、最低限クライアントに伝わっていることが大切です。

 

 

 

純粋性、無条件の肯定的関心、共感的理解はセラピストにとって必要な3条件といわれています。

 

 

 

技法

クライアント中心療法の技法は様々ですが、ここでは特におさえておいた方がよい傾聴、感情の反射、感情の明確化の3つについて羅列しておきます。

 

傾聴…相手の言ったことに対し批判したり指導したりすることなく、ひたすら聞き続けること。

 

 

感情の反射…相手の感情に関する言葉を繰り返すことで、クライアントが自分の感情について気づけるようにする。

 

 

感情の明確化…クライアントが自分自身の感情について言葉にできないときに、それが出てくるような働きかけをする

 

 

批判

クライアント中心療法に対する批判でよくあるものとして、傾聴というのはただ話を聞いているだけではないかというものがあります。

実際にカウンセリングを受けた方の中でも「具体的なことは何も言われず、ただしゃべらされただけだった」という感想を持たれる方は少なくありません。

 

他にも、クライエント中心療法を批判する逸話として「トイレはどこですか」とクライエントが聞いたらセラピストが「あなたはトイレに行きたいのですね」と答えたという話があります(ロジャース自身が講演で「どんな時でも、傾聴し、感情の明確化を促すのか」と聞かれ、「例えば『トイレはどこか』というようなことだったら、普通に答える」と言ったという説もあります)。

 

このようにただ話を聞いている状態や、言ったことを繰り返すだけの「おうむロボット」のような状態になったりするのは確かに問題です。

 

 

ただこれは、クライアント中心療法そのものへの批判というより、その基本概念が誤って理解されているためだと考えられます。傾聴そのものが重要なわけではなく、傾聴を用いて、無条件の肯定的関心や共感的理解をしていこうとする姿勢が重要であり、表面的な傾聴はクライアントも求めていません。この傾聴という技術はかなり難しく、誤解されている部分も大きいといわれています。そのため、「傾聴」という言葉が独り歩きしてしまっているのではないかと、学生の僕でも感じることは少なくありません。

 

技術的な面だけではなく、その技法を使う本質的な意味を忘れないことが大事なのかなと思います。